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記事一覧

1997年9月、高崎にて

碓氷峠廃止の年、9月。 あさまや白山の廃止を前にしたこの月に、高崎機関区を訪問する機会がありました。国鉄末期に全国から集められた機関車達で、高崎機関車館構想があった事を知る人は少ないと思います。何故高崎かというと、史実上は労働組合が絡んでいるようですが、日本の官設鉄道の電気機関車の歴史を辿ると、どうしても碓氷峠や信越本線に辿り着くからではないかと思うのです。JR化されて以降も、しばらく構想が白紙にな...

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並びと被り、似て非なるもの

雷鳥がバンバン走っていた頃は、よく地元の線路際で雷鳥同士の並び写真を撮っていました。双方ともに走っていますので、相対速度は200キロを越えていましたが、5回に1回くらいは何とか撮る事が出来ました。 年に20回通ったとして4回。 今思えば、暇ですね…。 週末だけでしたけど。この写真はいつも下り列車をメインに撮影する小松-明峰の踏切です。 25年くらい前からずっとご用達です。最近は良くマニアの姿が見られます。...

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山陰の主達

かつての京都にタイムスリップです。京都は西のボンネット型電車の基地、向日町運転所の所在地でもありますので、今も昔も、特急列車や急行列車の姿に事欠きません。特に様々な列車達が闊歩していた1990年代の京都駅は、まだ今のような複合駅ビルも無く、古都の玄関口としての趣がありました。その中でも、山陰本線ホームには常にディーゼル気動車の姿がありました。今では嵯峨野線と呼ばれていますが、国鉄時代はやはり、下関の手...

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レトロの境目

小松には、日本屈指の自動車ミュージアム、日本自動車博物館があります。展示替えや企画展などイベントも多彩で、よくお世話になっています。スタッフの方から伺うと、「クラシックカー」の定義には、最近2種類あるとのお話を伺いました。元は、昭和40年代以前と昭和50年代以降で区切る方法で、なんだかミスタージャイアンツみたいです。近年は、昭和と平成で区切って、昭和50年代以降を「ニュークラシック」という分野にしている...

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103系の役割

ボンネット特急隆盛の時代に、同時に隆盛を極めた通勤型といえば、103系でした。関西の103系は昭和56年まで増産されたので、普通に考えると489系の最終生産が昭和55年度ですから、同じ頃に全滅してもおかしくなかった筈です。でも、JR西日本は全く103系シリーズを無くそうと思っている気がしません。まだ奈良線には山手線と同じウグイス色が沢山走っていますし、播但線には哀れな更新改造で姿からは想像し難いものの、一応103系で...

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横軽の思い出です。

初めて碓氷峠を見たのは、もう35年近く前のことで、当時小学生だった自分には、特に感慨はありませんでした。というのも、その時はまだ知識不足でしたから。 当然写真も殆ど残っておらず、ネガも紛失したようです。JRになり、平成4年ごろに再度訪れています。その時はまだ、熊ノ平信号所の旧線路跡のトンネルが封鎖されていない時で、下り線(登り坂)と上り線を歩いて渡りながら、頻繁にやって来る特急達の写真を撮りました。...

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ボンネット特急時代=ブルートレイン時代

ボンネット型特急電車が無くなっていった時代には、それぞれ節目を感じます。第一世代は山陽新幹線の全線開業、昭和50年頃です。正確には、後継車の183系や189系で、「あずさ」「あさま」の181系を置き換えたのですが、まだ多くは新潟へと移り、「とき」で残りました。しかし同57年、その「とき」が上越新幹線で置き換えられる際に、2両の181系を残し全滅します。九州へ移動して485系改造された2両の181系を含む、残るボンネットは...

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