京都鉄道博物館=交通科学館+梅小路蒸気機関車館
- 2017/09/12
- 00:00
昨日に続いて、京都へ行ったお話です。
鉄道博物館には実はプレオープンで見学済みでしたので、新しい施設の中での興味は、どれだけの集客があるのか、という点でした。
実際に、梅小路蒸気機関車館単独時代と今の蒸気機関庫ゾーンを見比べると、さほど変わりはありません。 お客さんの数も世代層も、殆ど梅小路時代のまま。
そこへゆくと、純粋に増えているのが鉄博の新エリアの中です。
小さな子ども達が大勢のスタッフに見守られて遊べる過保護感すら覚えます。 世界の鉄道ミュージアムにもない「テーマパーク」っぷりです。
この中だけは、鉄道マニアが邪険にされそうな雰囲気でした。
この大勢のお客さんの1/1000でも小松に来るように、官民協力の鉄道ミュージアムが出来たら、「乗りもののまち」として更に輝くのに、と思いました。 写真は小松にもゆかりのある展示車両の、1994年の姿です。

小松市制50周年記念事業で粟津公園を走った義経号は、交通科学館常設に際して、金魚鉢の中に入れられてしまっていました。 昨日は扇形機関庫の中で展示されていました。

デコイチのトップナンバーは現在「形式付ナンバープレート」を付けていますが、ヘッドライト(主灯)の横に副灯があるので本来の現役時には無い姿です。 この、形式なしのナンバープレートと副灯の付いた姿こそ、現役晩年に山陰本線や奥羽本線を走っていた当時のままだったのです。 デビューは敦賀機関区で、北陸本線の山岳区間に初めて投入されたものが、最終的に国鉄1115両、世界各国を合わせると1200両以上の量産記録を持つ機関車になります。

今回はバラバラになっていたC622です。 個人的には前回のC612と同様に、炭水車だけ屋外で放置されている際に、連結部のメカニカルストーカー(自動給炭器)の接合部が露出している姿が見れて、満足していました。 ツアーのショボさに目をつぶる収穫が、実はそんな事です。 他の参加者の方には納得できないでしょうけど。

交通科学館時代の食堂車、ナシ2024です。 クラウドファンディングをこれから実施する際に募金の使用目的の一つが、クハ489-501の側面補修なのですが、最も難しいと思われる雨樋をどう修理するか、この車両からもヒントを得ていました。 屋外で連綿と展示され続けたわけで、補修の苦労も多かったと思います。

クハ489-501の全塗装の際にも、「全検標記」は書き直したいと思っていますが、これはナシ2024の検査表記です。 科学館時代は鷹取工場から出張施工していました。 その再塗装都度、施工年月も変わっていました。 クハ489-501の補修では、昭和46年7月の新製時代に復元する予定ですので、「46.7 東急車輌」にしようかと思っています。
鉄道博物館には実はプレオープンで見学済みでしたので、新しい施設の中での興味は、どれだけの集客があるのか、という点でした。
実際に、梅小路蒸気機関車館単独時代と今の蒸気機関庫ゾーンを見比べると、さほど変わりはありません。 お客さんの数も世代層も、殆ど梅小路時代のまま。
そこへゆくと、純粋に増えているのが鉄博の新エリアの中です。
小さな子ども達が大勢のスタッフに見守られて遊べる過保護感すら覚えます。 世界の鉄道ミュージアムにもない「テーマパーク」っぷりです。
この中だけは、鉄道マニアが邪険にされそうな雰囲気でした。
この大勢のお客さんの1/1000でも小松に来るように、官民協力の鉄道ミュージアムが出来たら、「乗りもののまち」として更に輝くのに、と思いました。 写真は小松にもゆかりのある展示車両の、1994年の姿です。

小松市制50周年記念事業で粟津公園を走った義経号は、交通科学館常設に際して、金魚鉢の中に入れられてしまっていました。 昨日は扇形機関庫の中で展示されていました。

デコイチのトップナンバーは現在「形式付ナンバープレート」を付けていますが、ヘッドライト(主灯)の横に副灯があるので本来の現役時には無い姿です。 この、形式なしのナンバープレートと副灯の付いた姿こそ、現役晩年に山陰本線や奥羽本線を走っていた当時のままだったのです。 デビューは敦賀機関区で、北陸本線の山岳区間に初めて投入されたものが、最終的に国鉄1115両、世界各国を合わせると1200両以上の量産記録を持つ機関車になります。

今回はバラバラになっていたC622です。 個人的には前回のC612と同様に、炭水車だけ屋外で放置されている際に、連結部のメカニカルストーカー(自動給炭器)の接合部が露出している姿が見れて、満足していました。 ツアーのショボさに目をつぶる収穫が、実はそんな事です。 他の参加者の方には納得できないでしょうけど。

交通科学館時代の食堂車、ナシ2024です。 クラウドファンディングをこれから実施する際に募金の使用目的の一つが、クハ489-501の側面補修なのですが、最も難しいと思われる雨樋をどう修理するか、この車両からもヒントを得ていました。 屋外で連綿と展示され続けたわけで、補修の苦労も多かったと思います。

クハ489-501の全塗装の際にも、「全検標記」は書き直したいと思っていますが、これはナシ2024の検査表記です。 科学館時代は鷹取工場から出張施工していました。 その再塗装都度、施工年月も変わっていました。 クハ489-501の補修では、昭和46年7月の新製時代に復元する予定ですので、「46.7 東急車輌」にしようかと思っています。
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