レトロの境目
- 2017/09/19
- 22:21
小松には、日本屈指の自動車ミュージアム、日本自動車博物館があります。
展示替えや企画展などイベントも多彩で、よくお世話になっています。
スタッフの方から伺うと、「クラシックカー」の定義には、最近2種類あるとのお話を伺いました。
元は、昭和40年代以前と昭和50年代以降で区切る方法で、なんだかミスタージャイアンツみたいです。
近年は、昭和と平成で区切って、昭和50年代以降を「ニュークラシック」という分野にしているのだそうです。
鉄道にもクラシックといわれる車種はあります。 呼び方は「旧型」「省製」とかありますが、戦前から昭和30年頃までの製造車両は「旧型」、それ以外は「新型」です。
でもそうなると、昭和30年代以降は全て新型になってしまします。
で、最近は「国鉄形式」と「JR型式」で線を引き、「国鉄=旧型」と言われる時代になりました。
しかし、最もポピュラーな新旧の区切りは、ボンネットの産みの親、星 晃氏が設計された軽量客車(10系以降)や101系(=90系)から、設計が変わったというべきでしょう。
近年は国鉄型なら、引退となるととたんにマニアが色めき立ちます。 悪い事ではありません。 極端過ぎるだけです。
103系が大阪環状線から無くなるから、と、メディア露出も増えていますが、あのカタチは既に国鉄時代のオリジナルとは似ても似つかず、別の型式にさえ見えてしまうもので、20年前に撮り納めてしまって以降は触手では無くなったみたいです。 やはり、設計者の意を汲む、オリジナルの姿こそ、形式としての価値だと思います。

平成6年のフィルムをスキャンして出てきた画像です。 今では京都鉄道博物館の脇役になっている、EF58150のイベント列車です。
この頃はまだ元気に走っていました。 小気味よいジョイント音を聞く事が出来たのは幸せでした。

長閑な時代で、フィルム時代ですからマニアも私のような当時の若造はじめ数人程度で十分楽しく撮っていました。
マイテ492もよく走っていました。 もう引退のなのか、最近全然走る事は無くなってしまったようです。 出来ればまた、オリジナルの展望手摺りに戻してほしいところです。
ボンネット広場は、線路が繋がっていないので、どうぞ真正面からでも撮影して下さいね!
展示替えや企画展などイベントも多彩で、よくお世話になっています。
スタッフの方から伺うと、「クラシックカー」の定義には、最近2種類あるとのお話を伺いました。
元は、昭和40年代以前と昭和50年代以降で区切る方法で、なんだかミスタージャイアンツみたいです。
近年は、昭和と平成で区切って、昭和50年代以降を「ニュークラシック」という分野にしているのだそうです。
鉄道にもクラシックといわれる車種はあります。 呼び方は「旧型」「省製」とかありますが、戦前から昭和30年頃までの製造車両は「旧型」、それ以外は「新型」です。
でもそうなると、昭和30年代以降は全て新型になってしまします。
で、最近は「国鉄形式」と「JR型式」で線を引き、「国鉄=旧型」と言われる時代になりました。
しかし、最もポピュラーな新旧の区切りは、ボンネットの産みの親、星 晃氏が設計された軽量客車(10系以降)や101系(=90系)から、設計が変わったというべきでしょう。
近年は国鉄型なら、引退となるととたんにマニアが色めき立ちます。 悪い事ではありません。 極端過ぎるだけです。
103系が大阪環状線から無くなるから、と、メディア露出も増えていますが、あのカタチは既に国鉄時代のオリジナルとは似ても似つかず、別の型式にさえ見えてしまうもので、20年前に撮り納めてしまって以降は触手では無くなったみたいです。 やはり、設計者の意を汲む、オリジナルの姿こそ、形式としての価値だと思います。

平成6年のフィルムをスキャンして出てきた画像です。 今では京都鉄道博物館の脇役になっている、EF58150のイベント列車です。
この頃はまだ元気に走っていました。 小気味よいジョイント音を聞く事が出来たのは幸せでした。

長閑な時代で、フィルム時代ですからマニアも私のような当時の若造はじめ数人程度で十分楽しく撮っていました。
マイテ492もよく走っていました。 もう引退のなのか、最近全然走る事は無くなってしまったようです。 出来ればまた、オリジナルの展望手摺りに戻してほしいところです。
ボンネット広場は、線路が繋がっていないので、どうぞ真正面からでも撮影して下さいね!
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