山陰の主達
- 2017/09/23
- 23:41
かつての京都にタイムスリップです。
京都は西のボンネット型電車の基地、向日町運転所の所在地でもありますので、今も昔も、特急列車や急行列車の姿に事欠きません。
特に様々な列車達が闊歩していた1990年代の京都駅は、まだ今のような複合駅ビルも無く、古都の玄関口としての趣がありました。
その中でも、山陰本線ホームには常にディーゼル気動車の姿がありました。
今では嵯峨野線と呼ばれていますが、国鉄時代はやはり、下関の手前、幡生駅までの起点としての風格がホームから既にあって、1時間に必ず1本、あさしおか丹後が出発するのです。

1枚目の写真は、電化直前の綾部駅です。 この1994年の秋頃は、あさしおのヘッドマークに昔の文字マークが多用されていました。 良い意味ではなくかなり多くのヘッドマークが盗難されていた時期がありました。
向日町運転所で多くのヘッドマークが盗難に遭っていた話を当時伺いました。ディーゼル特急だけでなく、雷鳥のボンネットマークにあかつき、なは、彗星といったブルートレインも被害に遭っていました。 後年、下関車両管理室のヘッドマーク庫でヘッドマーク作りをしている職人さんからも、そんな話を聞きました。

京都駅山陰ホームで出発を待つ、あさしおです。 マリンあさしおというリゾート列車も運転されていた頃で、定期あさしおにも編成増結がありました。 8両編成が長く感じたあさしおですが、5両や4両もあり、バラエティは大変豊かな時代でした。

急行丹後も、本当に風情のある列車でした。 中でも綾部から舞鶴線に入り、西舞鶴で分割して小浜線へと向かう急行わかさを併結した列車や、宮津線をぐるっと豊岡まで走り通すものもあり、今ならもっと「乗って楽しい観光列車」になれる要素がありました。
現在京丹後鉄道から乗り入れるタンゴディスカバリーも、コテコテなおもちゃ箱で、乗る方にすれば、ちょっと安っぽさを感じます。
20年30年先にも恥じない路線価値を纏うスタイルを追求した車両を造る事は、とても大変で、それこそ駅の風情も車両の浮世に流されて、やれ近代化と言いつつも、「新しさを感じない」中途半端なインフラを作ってはいないかと感じるわけです。
京都は西のボンネット型電車の基地、向日町運転所の所在地でもありますので、今も昔も、特急列車や急行列車の姿に事欠きません。
特に様々な列車達が闊歩していた1990年代の京都駅は、まだ今のような複合駅ビルも無く、古都の玄関口としての趣がありました。
その中でも、山陰本線ホームには常にディーゼル気動車の姿がありました。
今では嵯峨野線と呼ばれていますが、国鉄時代はやはり、下関の手前、幡生駅までの起点としての風格がホームから既にあって、1時間に必ず1本、あさしおか丹後が出発するのです。

1枚目の写真は、電化直前の綾部駅です。 この1994年の秋頃は、あさしおのヘッドマークに昔の文字マークが多用されていました。 良い意味ではなくかなり多くのヘッドマークが盗難されていた時期がありました。
向日町運転所で多くのヘッドマークが盗難に遭っていた話を当時伺いました。ディーゼル特急だけでなく、雷鳥のボンネットマークにあかつき、なは、彗星といったブルートレインも被害に遭っていました。 後年、下関車両管理室のヘッドマーク庫でヘッドマーク作りをしている職人さんからも、そんな話を聞きました。

京都駅山陰ホームで出発を待つ、あさしおです。 マリンあさしおというリゾート列車も運転されていた頃で、定期あさしおにも編成増結がありました。 8両編成が長く感じたあさしおですが、5両や4両もあり、バラエティは大変豊かな時代でした。

急行丹後も、本当に風情のある列車でした。 中でも綾部から舞鶴線に入り、西舞鶴で分割して小浜線へと向かう急行わかさを併結した列車や、宮津線をぐるっと豊岡まで走り通すものもあり、今ならもっと「乗って楽しい観光列車」になれる要素がありました。
現在京丹後鉄道から乗り入れるタンゴディスカバリーも、コテコテなおもちゃ箱で、乗る方にすれば、ちょっと安っぽさを感じます。
20年30年先にも恥じない路線価値を纏うスタイルを追求した車両を造る事は、とても大変で、それこそ駅の風情も車両の浮世に流されて、やれ近代化と言いつつも、「新しさを感じない」中途半端なインフラを作ってはいないかと感じるわけです。
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