1997年9月30日
- 2017/09/30
- 21:57
20年前、489系という系式の特急型電車を生んだ背景となった、信越本線の横川-軽井沢間、碓氷峠が廃止の日を迎えました。
以後の489系は、編成美という点から金沢運転所所属車のみ4編成が残されましたが、それ以外は概ね485系と共用するという余生を送りました。
クハ489-501の最終行程はどうだっかというと、福井行の「能登」で30日の朝を迎え、福井到着後に金沢へ回送されてそのまま運用終了となっています。 一番碓氷峠から影の薄い編成だったようです。

前日の、9月29日の上野行「白山」を、津幡駅で撮影しています。 この行路は上野到着後、「あさま」で長野までを往復し、更にホームライナー古河、ホームライナー鴻巣の2本をこなしてから福井行急行「能登」となっています。
折角保存された車両の割には、他の白山編成から見ると9月30日の主役ではなかったのでした。
ただ、夜行とはいえ9月30日の下り1番列車だったことは事実のようです。

明日は車内開放がお休みの日になっておりますが、今日と明日の2日間、廃止20年を記念して正面脇に、ささやかなポスターを設置しました。
今後再び、碓氷峠を走っていた気品あるボンネットの姿へと補修される折には、北陸新幹線ルート、更には「上野白鳥」のルートとして小松と碓氷峠も更に緊密な関係になりますよう、色々と企画したいと思います。
以後の489系は、編成美という点から金沢運転所所属車のみ4編成が残されましたが、それ以外は概ね485系と共用するという余生を送りました。
クハ489-501の最終行程はどうだっかというと、福井行の「能登」で30日の朝を迎え、福井到着後に金沢へ回送されてそのまま運用終了となっています。 一番碓氷峠から影の薄い編成だったようです。

前日の、9月29日の上野行「白山」を、津幡駅で撮影しています。 この行路は上野到着後、「あさま」で長野までを往復し、更にホームライナー古河、ホームライナー鴻巣の2本をこなしてから福井行急行「能登」となっています。
折角保存された車両の割には、他の白山編成から見ると9月30日の主役ではなかったのでした。
ただ、夜行とはいえ9月30日の下り1番列車だったことは事実のようです。

明日は車内開放がお休みの日になっておりますが、今日と明日の2日間、廃止20年を記念して正面脇に、ささやかなポスターを設置しました。
今後再び、碓氷峠を走っていた気品あるボンネットの姿へと補修される折には、北陸新幹線ルート、更には「上野白鳥」のルートとして小松と碓氷峠も更に緊密な関係になりますよう、色々と企画したいと思います。
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