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1997年9月、高崎にて

碓氷峠廃止の年、9月。 あさまや白山の廃止を前にしたこの月に、高崎機関区を訪問する機会がありました。
国鉄末期に全国から集められた機関車達で、高崎機関車館構想があった事を知る人は少ないと思います。
何故高崎かというと、史実上は労働組合が絡んでいるようですが、日本の官設鉄道の電気機関車の歴史を辿ると、どうしても碓氷峠や信越本線に辿り着くからではないかと思うのです。

JR化されて以降も、しばらく構想が白紙になりませんでしたので、多種多様な機関車が所狭しと留置されていました。
残念ながら横川で後年整備された碓氷峠鉄道文化むらの収蔵に至りませんでした車両は、その後解体されます。
一部には、ナンバープレートなどの盗難被害に遭ったものもありました。
今も昔も、一部の盗り鉄による鉄道文化の継承より自徳の亡者と化す愚行ゆえに、荒廃のシンボルとして被害車両は解体の道を辿るように感じます。

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ED75型も保存されていました。 まだ現役でバリバリ走っていた時代だったので、同機は程なく解体されました。

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今話題の鉄道文化むらの保存機、EF701001もありました。 敦賀第二機関区撮影会以来の再開で、その時から既に11年経過していましたので感動したものです。

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保存されたEF15165。 今も横川にあります。 私は現役時代のEF15型を見る機会があったのですが、この機関車もまた、本来残すべき名機かもしれません。 何より、駅構内での貨車の入換作業が捗る、小型デッキ付機関車でした。

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解体されたEF15200。 ヘッドライトがシールドビーム2灯になっていたからでしょうか。 165号よりは語呂が良かったのですが、山の急行型の主、165系にあやかったのか、何故か165号機が選別されました。

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EF60の1次車は2両ありました。 13と15です。 多分いずれも現役機の19号機の部品取りだったのでしょう。
このほかにも、ブルートレイン塗装になった501号機も居ましたので、EF60は珍しい存在ではないように感じました。

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EF6013の方で、こちらは沿道から見る事が出来ました。
今でもEF6019には、これらの解体機関車から受け継いだ部品が多々用いられていることでしょう。

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旅客用機関車にばかり目が奪われる鉄道マニアのミーハー視点に反し、ここでは貨物用機関車が多く見る事が出来、現場目線を感じました。 EF65534は、単なる貨物機の余剰留置でしたが、最終的には横川に、これとほぼ同じ形態の520号機が展示されています。
確かに高崎機関区は、国鉄時代には特急列車牽引運用も無い、メジャーな機関区ではありませんでした。
でも、ブルートレイン牽引機が多く余生を過ごした庫として、愛すべき存在です。

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最後に、これは高崎第一機関区だった場所で保管されていた、DD51801です。
残念ながらこの機関車も解体されています。 DD51型の保存例も、ボンネットまでとは言いませんが、結構少ないのが実態です。
様々なブルートレインから貨物列車までこなした名機ですので、多くの墓標の上に立ち、残る現役機の終の棲家がある事を望んでいます。
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